FEGの住宅街に。
ある家族が住んでいました。
「今日は早く帰ってきてね」
「うん、分かった行ってくる」
ご飯の匂いの替わりにオイルの匂いが、石鹸の匂いの替わりに燃料アルコールの匂いのする家に住んでいるのは、蜘蛛型舞踏体の夫婦でした。
玄関で夫のお見送りをする妻。
今日はこの夫婦にとって大事な日でした。
今日は、2人の子供がやってくる日なのです。
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「今日、出産局から連絡があったのよ」
「えっ、ようやく子供が来るのかい?」
「ええ、明日届くんですって」
「わあ……」
夫婦は長い脚と脚を取り合って喜びました。
と言うのも、蜘蛛型舞踏体は子供を作るためにはまず出産局に届け出をしないといけません。出産局の審査が通ってからさらに1年かけて、蜘蛛型舞踏体のボディがもらえます。出産局で審査しているのは舞踏体夫婦だけではなく、異種族婚やサイボーグの夫婦も子供を作る審査しているので、審査だけで最長で1年、赤ん坊の蜘蛛型舞踏体が夫婦と対面するのにさらに1年、計2年かかってしまうのです。
審査に掛かる時間は、徐々に短縮されていますが、蜘蛛型舞踏体のボディがに入った赤ん坊が、夫婦の所に来るのは、約1年かかります。これは、人で言うところの妊娠期間と同じだけの時間を、専用の調整ポットの中で過ごさないと、後々きちんとした人格が形成されず、ただのAIとなってしまうことが判明しているからです。
子供が来ると言う連絡が来るまでの間、夫婦は子育て勉強会に通いました。
「まだ生まれたてのお子さんは自分で身体を思うように動かせません。だからまずは家の中を自由に動けるようになってから、外で遊んであげましょう。
生まれたてのお子さんは、まだ壁を伝って歩く事ができず、いきなり壁を伝って落ちてしまったら怪我してしまいますので、壁を伝う練習も、最初は家の中でしてあげて下さい」
子育て教室に通っているのは、今回初めて子供を授かる蜘蛛型舞踏体の夫婦ばかりです。
子供が健やかに育つように、このようにして定期勉強会が開催されているのです。
「また、お子さんの定期健診は必ず参加して下さい。お子さんはまだ自分の不調が分かりませんので、皆さんが頼りです。様子がおかしいと思いましたら、最寄りのメンテナンス場に相談に行って下さい」
夫婦も一生懸命勉強しました。
授かる子供が元気に育つようにと。
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妻はその日、家具の場所を移動させていました。
元々埃が器官に入ったら危ないからと、毎日掃除していましたし、家具も燃料アルコールを入れる棚や身体の不調の応急処置用に差すオイルケース位しかありませんから、移動は楽です。
「これで壁を伝う練習ができるかしら……」
オイルケースを棚の置いてある側に移動させると、壁と天井が広々と出たスペースができました。
一応子供が落ちてしまっても大丈夫なようにと、クッションを並べ始めました。
そうだ、今度子供にちゃんと地面からの着地の練習もさせないと。
色々教えないといけない事が多いなあ。今度の勉強会で訊いてみようかしら。
妻はまだおぼつかない動きの我が子を想像しながら、床の掃除を始めました。
ピンポーン
と。玄関のチャイムが鳴ったのに気が付きました。
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「おう、お疲れー」
「お疲れ様です」
夫の働くビルのプレハブには、サイボーグや舞踏体が夜勤と交替してタイムカードを押す姿が見られました。
「あー、すみません課長。しばらく勤務時間、夕方までにしてもらってよろしいでしょうか?」
「んー?」
巨大サイボーグの課長は首を傾げましたが、すぐに納得しました。
「あー、そうか。お前の所もうすぐ子供が来るのか」
「はい」
後ろで聞いていた同僚達から「おー」とか「おめでとうー」とかの声が聞こえる中、夫はチカチカと照れるようにランプを揺らしました。
課長は笑いながら出勤表の日勤欄に夫の名前を書き始めました。
ビルを伝って家に帰りながら、夫はそわそわしていました。
子供にお土産って何を買えばいいんだろう。
伝うビルのガラス越しに中を覗くと、ちょうど親に手を引かれた子供が店から出ていくのが見えた。出てきた店は、カラフルな看板のおもちゃ屋でした。
夫は少し考えると、ビルを伝って開いている窓を探しました。
そうだ。お土産を買ってから帰ろうと夫はランプをちかちかさせました。
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「あれー、何やってるんだろう」
若い夫婦がまだ歩けないほど小さな子供を抱っこしながら散歩していると、壁をとことこ歩く蜘蛛型舞踏体と、その下を見守っている蜘蛛型舞踏体、そして壁を伝って歩こうとする度にポロリと落ちる蜘蛛型舞踏体が見えました。下にいる舞踏体が慌てたように、落ちた蜘蛛型舞踏体を起こしに行っています。
「あれは、子供に歩き方教えているんだよ」
「おおー。そっか親子かあ」
まだ若い家族は、舞踏体の子供が一生懸命壁を歩こうとしているのを見ました。
何度も何度も随分地面から離れた所まで行ったらポロリと落ちる子が、ようやく壁を伝って親の方へ歩けるようになるのを見届けてから、家族は帰っていきました。
若い家族が国を作っていきます。
そこに、種族は関係ありません。